日本語における「科学」
「科学」という語は、中国では、科挙で試される学問「科挙之学」の略語として使われていた。12世紀に南宋の陳亮という人が略語として使ったことが分かっている。
幕末から明治にかけての日本では、「科学」はもっぱら「個別学問」あるいは「分科の学」の意味で用いられていた。
明治時代に science という語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周が、その訳語として「科学」を当てた。当初は「科學」と旧字で表記されていたが、新字体の採用により「科学」と書くことになり、現在に至っている。
中国においても、用語に若干の違いはあるものの、science の訳語として「科学」が使われている。
明治政府は、近代国家の形を次第に整えてゆく中で、1877年に東京大学を創立し、1886年にはそれを西欧科学導入の先兵とし、ドイツ近代大学をモデルとして「帝国大学」の名で再編した。当時、世界の科学研究をリードしていたのはドイツだったからである(19世紀後半は、第一線の研究といえばドイツのものと相場が決まっていた(伊藤博文が、ドイツ、中でもプロイセンをモデル国家にしようとする中で、英国とフランスをモデル国家にしようとしていた自由主義派を追い落としを実行し、それによって政治的な大枠が確定した後、そのヴィジョンの一環として、帝国大学が成立したともされる。)。つまり、近代日本が採用したのは、西欧で(特にドイツで)すでに制度化され、専門分化した「科学」、すなわち「分科の学」であった。イギリスでは別の学問モデル(個別学問分野での専門的研究を中心とするのではなく、全人教育)を採用していたのに対して、ドイツ学者は自分が従事する学問の意味を深く問うこともなく、特定分野で業績をあげることばかりを追求し、他の学問分野については驚くべき無知さをあらわにしつつあった(と当時のイギリス人が観察していた)。
すなわち、ヨーロッパでは、文化・学問はしっかり根があり、上の幹や枝が分かれた状態で「ササラ型」で成立しているのに対して、日本へは、共通の根を切り捨ててササラの末端がバラバラになった状態で移入されたともされ、日本の科学がタコツボ型になっている歴史的事情を物語っている、ともされる。
日本語で「科学」という用語は、本来自然科学のために排他的に使われた言葉ではなく、一般に「個別学科」を意味していたのである。
明治が進み、日本で学問教育体制が整うにつれて、「科学」という用語は、今日的な意味での「近代自然科学」という意味で用いられるようになっていった。
英語、フランス語のscienceの訳語としては、「理学」という言葉も用いられた。これは、近代日本で自然科学の高等教育を授ける場の「理学部」、学位の「理学博士」などの制度的名称として残っている(尚、フランスで教育を受けた中江兆民はphilosophie(philosophyのフランス語)に「理学」という訳語を与えたが、他の訳語の「哲学」のほうが定着した。)。
また、明治時代の日本では「理学」は、(今日で言う)自然科学と工学を総称する言葉であったのであり、今日で言う「科学技術」に似た意味を持っていたことになる。東アジアに西欧近代科学が体系的な形でもたらされたのは19世紀後半であったが、ちょうどこの時期ヨーロッパやアメリカでも科学と技術の融合が進み、そのような状態で科学と技術を受容した東アジア諸国の人々は科学と技術を簡単には識別できなくなった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
勉強は少し苦手だけど、ぜんじろう先生の実験はとても好きです。
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